2003年2/22生活支援の講演会に190名
この講演要旨は、筆記メモです。


■障害者の支援はどこでも同じ。

大学卒業後、ながみね学園で拾われた。施設に長く居て疑問持った。ここに居る人たちがここにずっと居るどこが良いのか?入所施設では卒業がない。教師は卒業式が励みになるけど、生徒たちにははなむけの言葉を贈ってリニューアルできる。入所施設ではそれができない。4年経つとどうもだめになる。やめようと思ったが、やめることでは誰も気が付かない、と。

そんな時、施設長が,施設の仕事はやるなと。コーディネーターの仕事をしろと。全国で20ヶ所、来年から始めることになっていると。その当時、全国の中で長野県は一番福祉が遅れていた。今は50カ所に増えている。

コーディネーターになると、施設から出て、地域の家庭を回り、様子を見るよういわれた。気楽に引き受け、コーディネーターを始めた。朝出て、夕方に施設に戻る。疲れた顔をして。

コーディネーターの名称にあこがれた。カタカナの名称だからだ。平成2年頃名刺までつくった。それまでは、施設の親だけとしか付き合っていなかった。親は、施設に子どもをあづければ安心だといっていた。地域に出して暮れとは言われなかった。地域にも、当時も引きこもりの人はいたが。

地域の人からあまり相談は受けなかった。地域の人からは、冬になると雪下ろしを頼まれたりした。今は「手をつなぐ」の編集長をやっている。年代の違いを感じる。

その当時、親亡き後の子どもを預かる入所施設をつくってくれるようにという。しかし、50歳代の親になると、また違ってくる。30−40歳代の親は、地域で当たり前に暮らせるようにと、勉強会をやっていた。親たちは情報を求めている。この親たちは、今までの職員たちに裏切られてきたと感じたこともあった。子どもの障害に悩んでいる・・・。

私も、信用されないかも、という不安もある。親から相談を受ける。そのとき、悩みを聞くだけになってしまう。私が行くと、テープレコーダーに吹き込んだ生育暦を聞かせ、「どうでしょうか」と。

人の話を聞くだけでいいのはカウンセラート宗教家。「おつらいでしょう」と話を聞くことが大切。

私には伝える武器がなかった。それで、「家族が皆団結してきたでしょう」と言うと、お母さんも、「そうね、主人も酒やめたわ。この子は我が家の導き手ね」と。こういうやり方を1・2年やった。でももっとサービスを提供したい。ながみね学園でもショートスティぐらい始めたい、と思った。でも入所施設にとってショートスティはやりにくい事業。50人の入所者を見るエネルギーと、一人のショートスティの人を見るエネルギーは同じくらいだ。

親も普段見てもらっていない人に預けるのは不安。受けたくない施設と、不安のある親の間で、ショートスティをどう成り立たせるか。

「エっ、今日?と。沈黙が流れたりする。「公式見解はその日によります。預かると言えばあずかるが…」と、口を濁してしまう。親も冷静に「今朝、うちのおばあちゃんがなくなりました。2泊3日のショートスティを必要としています」と。「でもおばあちゃん亡くなったの、一月前では?」「ええと、それは父方のおばあちゃんです」なんてやり取りをする。

手紙読みます。「福岡さん、昔は悪い人だったけど、今いい人。昔は障害があるから大変と思ってたでしょう。でも、かわいいから大変なのよ、と考えてくれた方。ショートスティをしようという親の思いは本当に覚悟して頼む。それを「理由は?」と聞かれても困る。と言うことを教えてくれた親です。

ショートスティを申し込むときには、今休まないと、この子をこのまま育てきれない、と言うときに頼んだりするようです。それで送迎もこちらでやったり,いろんな形でのショートステイを考えた。

全国、いろいろな形でやっている。流行をまねしても、そこ独自のサービスになる。

私はレスパイトケアを平成8年に始めた。一部屋借りて、電話を引いて、始めた。今は全国に広がっているサービスです。電話が来るのが待ち遠しかった。脳性マヒの方の親が、初めて電話をくれた。「うちの子、いいかしら」と。

コーディネーターした自身のある話。地元の小学校に通わせたい親。一人では通わせられない。行政などいろいろな人が集まり相談。このこのために予算化し通学させることは大切、と主張した。数回の会議。村は一日5000円で働く人が居れば通わせられると。これがコーディネーターの仕事です。

子どもが声優になりたいと。アメリカでも暮らしたいから英語塾と。子どもの塾に周囲近い付き添ってほしいとの、レスパイト。その子はアメリカにも行きました。向こうは障害者にも親切。コーディネーターは、通学の送り迎え。当時の私は、英語塾まで送るだけで、暇なときはながみね学園にその子を置いて置けばいいと思っていた。
でも彼女はそこはイヤだと。充実したことをしたいと。下校後アニメの本を読んだり、ビデオも。夕方は、ハンバーガー食べてから塾に行きたいと。わがままな娘と思い、両親に言った。すると、親は娘の言うとおりやってほしいと。それからは、彼女の希望を聞き、あちこち行った。自分の娘と同い年の彼女は、福岡さんの家に行きたいと。それで連れて行ったり。

センターができるまでは大変。でも家族が協力してくれた。息子とも良い関係ができた。

地域が彼女のために開かれるよう、一緒に行動。施設の中でやるより、地域に出ることが必要。そのための職員や彼女の家も必要と思った。
市町村の部長などに、親から矢本人の要求を話してもらうコーディネーターもした。行政の方は、予算などが・・・と言う。担当者も異動してしまえば実現できない。

コーディネーターがケア会議していける支援センターがやっとできた。パンドラの箱のように、みな少々心配の様子。それでも口コミで広がり、今15人の職員で大忙し、預かるのでなく仕組みを作るのがコーディネーターの仕事。

お母さんの要望。「海外に2週間行きたい。主人と行けば半額なので、この機会を逃したら・・・」と。ダウン症の娘さんと息子とおばあちゃんが留守番。それでやったこと。朝、おばあちゃんが起こし登校、センターへ下校。夜9時には帰宅させ、お兄ちゃんが面倒を見る。土・日は、地域のあちこちで過ごせる。と、こんな風に。

あるお母さんから、「キムタク先生が転校してしまう。有志を募り、お別れ会をしたい」と。このお別れ会の間、子どもを見てほしい。デニーズででも食事しながら。ミキサーもちこんで、ファミレスに持ち込んでいくことも。向こうも慣れてくる。子どもたちと一緒にお別れ会をしては?と、提案したことも。でもお母さんはレストラン子どもハファミレス、と言うおとしどころで。

数日前に予約がほしいが、なかなか先は考えていないもの。急の依頼もある。子どもを連れて来てしまうことも。送迎時に車は必須の地域。小学校なら一人で行ってくれるが、養護学校ではずっと送迎に縛られてしまう。迎えの時間直前に依頼してくる。

パンク修理で代わりに迎えに行くとか、迎えに行くしかない。お母さんには自由な午後が。職員は携帯で常にメール交換中。送迎の連絡、飲み物の種類、おやつの中身など情報を共有していないと。夕方、映画を見に行ったお母さん、携帯に連絡を入れてくる。のんびりして、夜迎えにくることになる。こうした時間のパターンはケア会議で確認のうえで。その子の食べ方、食べ物の中身も携帯で注文済み。夜迎えに来る予定を一転、変更すると。次々にサービスが増える。これが日常になると、地域でやれそうな気がしてくる。

支援費が開始したら、もっと事業所は増えてほしいが、これがコーディネーターではなく、この連携をつくるもの。預かることより、園子の将来の暮らし方をケア会議で話、ケアプランを作るのがコーディネーターの仕事。年間150件のケア会議。

3人家族をイメージして。子どもは養護学校。お父さんはサラリーマン。お母さんは子どもの世話をしていたが、2ヶ月入院することに。こんな時どうします?学校に相談?市役所?主人と子どものことお願い、と言ってもそれは無理となる。あったはずのニーズがなかったことにされる。

我々はまずケア会議。担任、ケースワーカー、ヘルパー等集めてプラン作り。これがなければお父さんが仕事を2週間休むか、子どもが施設に入所しかない。ケア会議では、出社後のヘルパー派遣、下校の送迎、父親の帰宅まで面倒を見る、とプラン化。

村の担当者は、この家だけ特別扱いできないと、言う。しかし、時間短縮をすればと提案。そこで学校に視線が。下校時間後は学校で何とかしようか、となる。体育館で見るくらいなら、と。登校も早めにさせてもらうようにしたり。こうして、学校もケアプランに基づいて、扱いを変更。村で10時間のヘルパーを出すことも考えられるが。

ホームヘルプを考えると、地域によりまちまち、全員が、ホームヘルプを使うと、とても足りなくなる。本当は、地域のコーディネーターがプランを作るのが良い。

■サービスの提供、ケアプランが大切。

実際は、家庭に他人が入られると、お母さんも嫌がるので夜までセンターに居させ、その後送ることもある。

100人になったら、ニーズです。こうやって福祉は向上します。ビデオで見てもらい、地域の変化の話をします。2年前のビデオ。
知的障害と重複障害を持っている子ども。夕方は、ホームヘルパーが身体介護。危険回避。これをベースに食事介護も。1日3〜4時間のホームヘルプ。長期休暇中は、1日7時間のヘルプ。ゴーカートに乗ると安定する子。

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外に働きにでられた。送迎の対応。家事援助などがある。15人で160人のヘルプをしている。
我々はヘルプの仕組みを作る役割。サービスを用意。ケアプランとしてつくるのが支援センターの仕事。社会資源を使いながら出来ること。
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このお母さんの子どもは、川でおぼれて酸欠になった。今は27歳だが、生活に支援が必要。村が、1日6千円出し、通所施設に通っている。このお母さんは、地域をひっぱってくれた。
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これは成人の障害者のケアプラン。行政の制度を組み合わせている。地域から離れ、決められた場所で一生暮らすのは豊かなことなのか?今年卒業。生活全体のコーディネートを頼んでいる。違う個性の一人ひとりにあったケアプランを作るとこが大切。卒業したあと、1年間のケアプランを作った。基本は月曜日学友と同じ作業所で。火曜日家族で。水曜日プールなど。木曜日施設へ。金曜日自由に様々なことを。今は作業所で過ごしているが。
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日中通える場所などの確保、支援センターは窓口の役割です。
障害者の子どもを持つと可愛いわが子が親亡き後どう生きるかが心配。皆に守られないとどうしよう、と言うことで安心なのが入所施設。地域で暮らすといっても、支える仕組みがあれば親も安心。今はグループホームで暮らし、日中は通所施設へ通い、朝夕休日はヘルパーが支援。このような仕組みができたことが大切。グループホームだけ出来ても心配。根性の悪い世話人だと不安とか。また通所施設のみでも心配。学校は休みが多いが、施設もそう。他の時間のすごし方が不安。デスパイトケアだけでも心配。全部がそろうことが大切。

長野では50人の施設を、10人の職員が見ている。夜間は2人の職員。グループホームの方が手厚い。通所施設も職員が多い。グループホームは世話人とヘルパーが連携できれば安心です。自閉症のお子さんも暮らしやすい。

田中知事も四組に来てくれる。今、500人の施設があり、見直しが進められる。親は施設をなくすのかと当初反対。でも日中の考え方などの支援センターの仕組みえ説明した。急な用件が寄せられても、段取りが出来るとわかれば納得してくれる。私の施設も見学に来て、次第に理解してくれている。いくらぐらいの予算でどんな支援を祖手くれるのか。加えてシェルターとしての存在も必要。

長野は地代が安いので、行政からの補助も少ないお金でしっかりした建物が出来る。

グループホームで気管切開の方が暮らせる物を作りたい。そのためには看護婦さんが常駐した形でやりたい。親も安心。

支援費、開始にあたり、どこでも行政の方は心配。皆さん勉強してるから、申請にきたら大丈夫でしょうか?介護保険との違いがある。行政の人は分かってない。高齢者と障害者とのヘルプの違いが分かってない。
グループホームもコネがないと無理などと言うところも。この村は絵に書いたもちのよう。

未来にあったニーズが、行政により、なかったものにされている。コーディネーターがそれをあぶり出し、支える仕組みにする。キーパーソンは、コーディネーター。地域のニーズをあぶり出すキーパーソンのコーディネーターが重要。

<以上で、講演部分終わり>
この後に、トークセッションが入りました。