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| No.11 |
イエテボリスポステン紙 |
| 2002年6月12日付け記事 |
“私達は忘れられることになっていたのです。”
コニー バリクビストさんは知的障害があったので3歳のときに児童の養護施設に預けられた。コニーさんはもう52歳になったが自分の親についての記憶はなにもないそうだ。コニーさんは知的機能障害者だ。
“あの頃は、私のような人間は預けて忘れてしまうように助言されたのです。”
カルテから自分のもう亡くなった両親が誰だったかをコニーさんは知っているそうだ。しかし、両親の記憶はない。
私達はニイシューピング市役所の事務所でコニーさんに会った。ここでコニーさんは雑用係の仕事をしている。コピーをとったり、役所の車の手入れをしたりしている。
コニーさんは、自分の子供時代のことをたんたんと話してくれた。15年間にもおよぶ入所施設の歴史だ。それと同時に当時の社会の上層部の人達や周辺の人達からしいたげられた人達の話しでもある。
カトリネホルムの児童養護施設から、今ではもう解体された入所施設のネーベルトルプ学校に移転させられた。ここは特殊学校で、生徒達は学校内で生活しながら授業もうけていた。その頃コニーは9歳だった。
“学校に行かないと警察が連れにきました。”
この学校でしばらく生活したのちコニーさんはヴィングオーケルの新しい特殊学校に移転した。
“僕はあまりにも騒々しいと思われたからです。でも、それには理由があったんです。”
その当時は誰もコニーさんに何故コニーさんが知的障害者と一緒の学校に行かなければならないか説明してくれなかったそうだ。
それに、何故コニーさんがみんなと同じように物事がすぐ理解できないかも説明してくれなかったそうだ。
“そういうのは職務違反に近いと思いますよ。”と、コニーさんは話してくれた。
コニーさんの知的機能障害は、コニーさんは、理解障害者といわないで知的機能障害者と呼んでほしいそうだが、それほど重度ではない。何故障害があるのか、その原因はわからないそうだ。
“小さい頃は、転んで頭を打ったからといわれましたが、今ではそうは思っていません。私は予定日より2ヶ月早く生まれたんです。”
現在では、コニーさんはFUB(知的機能障害のある児童、青少年と成人の会)で積極的に活動している。
介護職員達に自分の障害についての話しをしたり、社会庁の調査活動グループにも加わっている。
コニーさんは、知的機能障害者の入所施設が解体されたのは良いことだと思っているそうだ。しかし、人々の態度にはあまり変化はないと感じているそうだ。
“入所施設では、共通の障害のある人達を何名か一まとめにしていました。そして、個人個人の人間の持つ必要性とか、考え、感情などを忘れてしまったのです。“と、コニーさんは語っている。
入所施設で感じた、人間として尊敬されていないという感じは、現在でも時に感じるそうだ。
“たとえば、何かを話したりしても、本当にしてもらえないことなどがあるのです。”
子供時代の一番楽しかった思い出は何ですかと尋ねたら、コニーさんは長いこと黙ってしまった。
“ええ、いい質問なんだけど、、 いい思い出はないですね。”
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| No.12 |
イエテボリスポステン紙 |
| 2002年6月12日付け記事 |
“児童は社会を守るために閉じ込められた”
数10万名もの知的障害のある児童が1940年代から1970年代にかけて、不必要に入所施設に閉じ込められていたが、これらの児童は社会からその存在を認められるべきだ。こういった事柄を、1965年に脳性マヒの生まれたばかりの息子を施設に預けるよう説得されたヤード アンデーンさんが要求している。
新しい博士論文が、また知的障害のある児童が預けられた大きな病院や養護施設に光をあてている。こういう施設に子供を預けた親たちはニイシューピング市のコニー バリクビストさんの親のように児童とはその絆を断ち切ってしまった人達が多かったのだ。
ヤード アンデーンさんは、こういうことは、児童の人権にたいする一つの犯罪であったということを社会は認めるべきであると考えているそうだ。ヤードさんの息子のマグヌスさんは、とても不幸せだったが、数年後には家に戻れた。現在はマグヌスさんは、市民の権利を守る会の“やーグ(わたくし)”の会長だ。母親のヤードさんは、パーソナル アシスタンスを行う利用者生協の運営部長を務めている。“私は、他の方法で子供を育てられるということに気づいた家族の人たちは騙されたように感じているということは理解できます。”と、先週ウプサラ大学で、知的機能障害者の大規模入所施設の解体に関する博士号を取得したケント 0 エリクソンさんは語っている。
丁度、強制不妊手術と同じく、1920年代以後の養護施設の考えは、完全な人間だけの社会という意味で、社会を障害者から守るという考え方だったのです。
特別病院には最高時には1000名もの患者を収容しており、各入所施設には400名から600名もの人々が生活していた。
“人間が成長するには貧弱でまったく特徴のない社会でした。”と、ケント・エリクソンさんは語っている。
スウェーデンでは、強力は障害者運動と社会経済性という考え方が組み合わされて、入所施設の発展を推進し、障害児のいた家族は自分で子供の世話をしなくてよいように支援を受けたのだ。
殆どのヨーロッパ諸国にはまだ今でも入所施設が存続しており、スウェーデン モデルを調べるために多くの見学者がやってきている。
“世界各地に約300万名の知的機能障害者が社会から忘れられ、死を待つばかりで暮らしています。私達は、こういう人達を社会に統合してゆく方法を示しているのです。”と、ケント・エリクソンさんは語っている。
しかし、知的機能障害者を社会に統合してゆくにはまだまだするべきことは沢山ある。皆がグループホームへ移転したとはいえ、それ以外にはまだあまり社会との接触がない。
ヤード アンデーンさんは、社会は知的機能障害者の差別禁止を望んでいる。
“周囲の人達の必要性がまず最初に考慮されています。ですから、法律による強い支援が必要なのです。”と、ヤードさんは語っている。 |
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